1885年 - 1979年

富安風生

とみやす ふうせい

作風・特徴

明るく温かく人生を前向きに詠む「明朗俳句」が特徴。師・虚子の花鳥諷詠を守りながら実業家としての安定した人生観が句に穏やかな力を与える。読み手をほっとさせる包容力のある句風。

生涯・略歴

愛知県生まれ。高浜虚子に師事し「若葉」を創刊・主宰した。NHK俳壇の選者として長年親しまれ放送を通じて俳句の大衆普及に大きく貢献した。「花鳥諷詠」の精神を守りながら温かく明るい人生観が滲む句風が特徴で「明朗俳句」とも評される。逓信省官僚としてのキャリアも持ち多忙な中でも俳句を続けた。94歳の長寿を全うした。

代表句 (20件)

休暇果つまた大都会の渦の中
季語: 夏期休暇果つ (autumn)
【現代語訳】楽しかった夏休みが終わり、私は再び、せわしない大都会の人の渦、仕事の渦の中へと戻っていくのだ。【鑑賞】休暇の解放的な時間から一転して、慌ただしさに満ちた現実の都会生活へと引き戻される瞬間の、少し身が引き締まるような、それでいて一抹の寂しさをはらんだ都会人の哀愁が、見事に表現されています。
鉦叩き己が光の中に鳴く
季語: 鉦叩 (autumn)
【現代語訳】鉦叩が、まるで自分自身が放つ静かな光の中に包まれているかのように鳴いている。【鑑賞】小さな鉦叩の澄んだ鳴き声を聞いているうちに、作者にはその小さな虫の周囲に神聖な光の輪が見えるような錯覚を覚えたのでしょう。静寂の中で命を輝かせて鳴く虫への愛おしさと、神秘的な美しさを捉えた名句です。
柿羊羹包める紙の渋き色
季語: 柿羊羹 (autumn)
【現代語訳】柿羊羹を包んでいる包装紙の、いかにも落ち着いた渋い色合いよ。【鑑賞】お菓子そのものの味や形ではなく、それを包んでいるパッケージの渋い和紙に視線を注いだ一句。柿渋を思わせるその落ち着いた色彩が、柿羊羹という伝統的な和菓子の品格や、秋という季節の深まりを静かに伝えています。
烏瓜ともりて暮るる藪の径
季語: 烏瓜 (autumn)
【現代語訳】烏瓜の実がぽつぽつと赤く灯るように色づき、藪の中の小道が次第に暮れていくことよ。 【鑑賞】夕暮れ時の寂しい藪の中で、烏瓜の朱色だけがまるで小さな灯籠のように浮かび上がっている様子を描いています。静寂と秋の深まりを感じさせる叙情的な一句です。
雁来月波よりのぼる月のあり
季語: 雁来月 (autumn)
【現代語訳】雁が渡ってくるという雁来月(陰暦八月)、海のかなたの波間から、こうこうと輝く月が昇ってくることだ。【鑑賞】海辺で月を眺める叙情的な一句です。「雁来月」という季節の響きが、夜の海の冷ややかさと、これから訪れる秋の深まりを予感させます。昇りゆく月が波を照らす情景が美しく描かれています。
錦繍の山々に対ひけり
季語: 錦繡の林 (autumn)
【現代語訳】見事に紅葉した山々と、いま私は真っ正面から対峙している。 【鑑賞】「対ひけり(むかいけり)」という一言に、大自然の圧倒的な色彩美を全身で受け止め、心を通わせている作者の真摯な姿勢が表れています。余計な修飾を排し、錦繍の美しさに圧倒される作者の静かな感動がストレートに伝わる名句です。
草虱一つつきても旅は旅
季語: 草虱 (autumn)
【現代語訳】たった一粒の草虱が衣服にくっついているだけでも、それだけで自分が今、旅の途中にあることをしみじみと実感するものだ。【鑑賞】草虱は野山を歩いた確かな証拠です。たとえたった一つであっても、それが衣服についているだけで、日常を離れて自然の中に身を置いているのだという感慨が湧いてきます。旅情を身近な事物を通して軽妙に表現しています。
吉祥草咲きてその年の安穏なる
季語: 吉祥草 (autumn)
【現代語訳】吉祥草の花が咲いて、今年も我が家は無事に、穏やかに暮らすことができそうだ。【鑑賞】吉兆をもたらす吉祥草が今年も咲いてくれたことへの感謝と、一年の無事平穏(安穏)を実感する素直な心が詠まれています。劇的な事件ではなく、ただ家族が平穏であることへの祈りと喜びが、吉祥草という季語に深く寄り添っています。
巣立鳥母より高きところにゐる
季語: 巣立鳥 (spring)
【現代語訳】巣立ったばかりの若鳥が、見守る母鳥よりもさらに高い枝にとまっている。 【鑑賞】親鳥よりも高い位置に止まる若鳥の姿に、自立の誇らしさと急激な成長の逞しさが象徴されています。人間社会の親子の姿にも重なり、頼もしさと一抹の寂しさが入り混じる奥深い一瞬を捉えています。
香草を剪るやはらかに秋の雨
季語: 香草 (autumn)
【現代語訳】秋の静かな雨が降る中、香草をハサミでそっと剪(き)り取っている。その雨の感触も、香草を剪る手応えも、すべてが柔らかく満ち足りている。 【鑑賞】雨に濡れることで、香草の放つ香りはさらに優しく、しっとりと立ち上ります。「やはらかに」という言葉が、秋雨の細やかさと、香草を愛おしむ作者の心境を見事に調和させている名句です。
梗草の雨一しきりあがりけり
季語: 梗草 (autumn)
【現代語訳】桔梗(梗草)の花を濡らしていた雨が、ひとしきり激しく降ったあとに、すっきりと上がったことだ。【鑑賞】激しい雨が通り過ぎた後の、しっとりと濡れた梗草の佇まいを詠んでいます。雨に洗われていっそう引き立つ紫の花の色と、雨上がりの爽やかで静寂に包まれた秋の空気感が、五感を刺激する作品です。
豨薟に露の重たきばかりかな
季語: 気連草 (autumn)
【現代語訳】気連草(めなもみ)の草に、朝露がずっしりと重たげに降りていることよ。【鑑賞】地味で目立たないめなもみの葉や花に宿る、豊かな朝露の存在感を主役に据えた句です。草自体の健気さと、冷涼な秋の朝の空気感が、露の重みという触覚的な表現を通して鮮やかに伝わってきます。
血貝むく刃先の濡れてあかきかな
季語: 血貝 (spring)
【現代語訳】血貝の殻を剥く小刀の刃先が、その赤い体液で濡れて赤く染まっていることだなあ。【鑑賞】貝を剥く道具である「刃先」に視点を絞り込むことで、冷たく鋭い金属の質感と、血貝の持つ温かく生々しい赤さとの対比を際立たせています。「濡れてあかき」という描写には、春の瑞々しさと同時に、どこか妖艶で緊迫した美しさが漂っています。
火旻の底に沈める山河かな
季語: 火旻 (autumn)
【現代語訳】 赤々と燃える秋の空のその下に、地上の山や川が静かに暗がりへと沈み込んでいくようだ。 【鑑賞】 天空に広がる「火旻」の鮮烈な光と熱に対し、夕闇に包まれようとする地上の山河の静けさと重厚感が見事なコントラストを描いています。主客の対比により、宇宙的な空間の広がりを感じさせる壮大なスケールの一句です。
雁字いま崩れて月の面に懸る
季語: 雁字 (autumn)
【現代語訳】整然と並んで飛んでいた雁の列が、今まさに形を崩しながら、皓々と輝く月の表面を横切っていく。 【鑑賞】夜空に輝く満月を背景に、雁の群れがシルエットとなって通り過ぎる瞬間をドラマチックに切り取った現代の名句です。「雁字」という古典的な見立てを用いながら、それが「月の面に懸る」という極めて視覚的で映画的な構図に昇華されています。古典の美意識と近代的な写生眼が融合した逸品です。
菊吸天牛菊の茎より落ち易し
季語: きくすひ天牛 (autumn)
【現代語訳】菊吸天牛は菊の茎から実にあっけなく落っこちやすいことだ。【鑑賞】菊に潜む小さなキクスイカミキリの習性を細やかに観察した一句です。触れるとすぐにポロリと茎から落ちてしまう小さな虫の動作が、客観的かつ愛嬌を込めて写実的に描かれています。
黄烏瓜日に照りまさる籬かな
季語: 黄烏瓜 (autumn)
【現代語訳】垣根に実った黄烏瓜が、秋の日に照らされていよいよ鮮やかに輝いていることだ。【鑑賞】籬(まがき・垣根)にぶら下がる黄色の実が、秋の陽射しを浴びて光を増す様子を素直に詠んでいます。黄烏瓜の明るく暖かな色彩が際立ちます。
貴船菊活けて影濃き畳かな
季語: 貴船菊 (autumn)
【現代語訳】貴船菊を花瓶に活けたところ、畳の上に落ちるその影が実に濃く感じられることだ。【鑑賞】室内の静けさの中で、床の間や卓上に活けられた貴船菊の端正な立ち姿を描いています。花そのものだけでなく、畳に落ちる「影」の濃さに着目することで、秋の澄んだ光と静寂を表現しています。
休暇果つ夜の鞄を閉じにけり
季語: 休暇果つ (autumn)
【現代語訳】楽しかった休暇が終わり、夜になって旅行用のかばんをパタンと閉じたことだ。 【鑑賞】休暇の終わりを静かに受け入れる心情が、鞄を閉じるという日常の具体的な動作に込められています。明日からの生活への切り替えと、一抹の寂しさが漂う名句です。
玉鼓鳴くや小さき草の原
季語: 玉鼓 (autumn)
【現代語訳】庭の片隅の小さな草むらから、玉鼓の繊細で美しい鳴き声が聞こえてくる。 【鑑賞】「小さき草の原」という表現が、鳴いている虫の極めて小さな姿を暗示させています。大自然ではなく身近な庭の草むらだからこそ、虫の命の尊さと愛らしさが際立ちます。