1932年 - ?

鍵和田秞子

かぎわだゆうこ

作風・特徴

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生涯・略歴

鍵和田 秞子(かぎわだ ゆうこ、1932年(昭和7年)2月21日 - 2020年(令和2年)6月11日)は、神奈川県出身の俳人。

代表句 (11件)

月鈴子ふりおこしたる力かな
季語: 月鈴子 (autumn)
【現代語訳】鈴虫(月鈴子)が、その小さな身体のすべてを震わせ、渾身の力を振り絞って鳴き始めた。その音の力強さよ。【鑑賞】「月鈴子」という雅量ある響きとは裏腹に、虫が命を賭して鳴き出す瞬間のエネルギーを「ふりおこしたる力」と捉えた、生命力に満ちた写生の一句です。
若冲忌錦の鳥の立ちあがる
季語: 若冲忌 (autumn)
【現代語訳】若冲の忌日に、錦のように華やかに彩られた鳥が、いまにも絵の中から立ち上がってくるようだ。 【鑑賞】若冲の極彩色で細密な動植物画を連想させる華麗な句です。「錦」は若冲の生家があった京都・錦小路を暗示するとともに、豪華絢爛な羽の色を表現しています。平面の絵画から鳥が命を吹き込まれて動き出すような迫力を描いています。
終戦忌みどりごの爪やはらかし
季語: 終戦の日 (autumn)
【現代語訳】終戦の日を迎えた。抱き上げた赤ん坊の小さな爪は、透き通るように柔らかい。【鑑賞】戦後生まれの幼い命の無垢さと柔らかさを愛おしむことで、過去の戦禍の痛ましさと現在の平和の尊さを鮮やかに際立たせた名句です。
酔楊妃崩るるまでの紅ならず
季語: 酔楊妃 (autumn)
【現代語訳】酔楊妃の花は、咲き崩れてしまうほどの乱れた紅に染まるわけではなく、気品ある色合いを保っている。\n【鑑賞】一日でしぼんでしまう酔芙蓉ですが、最後まで品格を失わない花の美しさを「崩るるまでの紅ならず」と表現しました。楊貴妃の気品ある美しさを重ね合わせ、抑制された艶やかさを讃えています。
被昇天祭海のかなたを仰ぐ日よ
季語: 聖母被昇天祭 (autumn)
【現代語訳】聖母被昇天祭の今日、遥かな海の彼方を見つめ、天を仰ぐようにして祈りを捧げる日であることよ。\n【鑑賞】どこまでも広がる海と空の境界を見上げ、天に召された聖母に思いを馳せる敬虔な心情が描かれています。「仰ぐ」という所作に、純粋な祈りと人々の祈念の深さが凝縮されており、初秋の広大な空間美が心に響きます。
ミカエル祭風の生まれてゐる樹樹よ
季語: 聖ミカエルの祝日 (autumn)
【現代語訳】聖ミカエル祭の日、梢のざわめきとともに、まさに木々の間から秋の風が生まれて吹き渡っていく。【鑑賞】天使の飛翔や降臨を思わせる清新な「風」の気配を、生き生きとした木々の姿を通して描いています。秋の到来を告げる清らかな風の誕生に、天使の祝福を感じさせる繊細で美しい調べの名句です。
玉子天狗茸死の純白を惜しみなく
季語: 玉子天狗茸 (autumn)
【現代語訳】玉子天狗茸は、死をもたらす毒を秘めながら、その無垢で美しい純白の姿を惜しげもなく誇示している。【鑑賞】純白という潔く清らかな色彩が、実は「死」の象徴であるというパラドックスを鋭く突いた一句です。「惜しみなく」という表現に、抗いがたい妖艶な魅力と、自然界が持つ冷徹な厳しさが鮮烈に表現されています。
天涯花暮れゆく水に映りけり
季語: 天涯花 (autumn)
【現代語訳】夕暮れに染まりゆく水面に、天涯花の花影がくっきりと映り込んでいる。【鑑賞】水辺に咲く天涯花を描いた清冽な一句です。「暮れゆく水」の流動感と冷やかさに対し、岸辺に佇む天涯花の紅の静けさが対比されています。水面に映る虚像の美しさを通して、秋の夕暮れの寂寥と美の儚さがしみじみと伝わってきます。
苦栗茸あかるき毒のあつまりて
季語: 苦栗茸 (autumn)
【現代語訳】苦栗茸が、まるで明るい毒そのものが寄り集まったかのように、鮮やかに群れ咲いている。\n【鑑賞】薄暗い森のなかでひときわ目を引く苦栗茸の黄色い群生を「あかるき毒」と端的に表現した名句です。明るさと毒という相反する要素が見事に調和し、妖艶で危険な自然の美しさを際立たせています。
支倉忌オリーブの葉の裏返り
季語: 支倉忌 (autumn)
【現代語訳】支倉常長の命日を迎えた今日、オリーブの葉が秋風に吹かれて白く裏返っている。 【鑑賞】支倉常長が訪れた地中海・南欧を象徴する「オリーブ」を取り合わせた鮮烈な一句です。秋風に翻るオリーブの葉裏の銀白色に、遥かなる西洋への航海と、常長の胸に宿り続けた信仰の光が美しく重なり合っています。
文化祭終る空より雨となり
季語: 文化祭 (autumn)
【現代語訳】文化祭がちょうど終わったその時、空から静かに雨が降り出してきた。 【鑑賞】祭りの終了と時を同じくして降り始める雨に、行事の幕引きを重ね合わせた一句です。それまでの賑わいを洗い流すかのような秋雨が、文化祭が終わってしまったことへの名残惜しさと静かな余韻を際立たせています。