1885年 - 1962年

飯田蛇笏

いいだ だこつ

作風・特徴

山梨の厳しい自然・山岳の景観を圧倒的な迫力で詠む「山の俳句」。峻烈・孤高・骨格のしっかりとした句風で虚子門の中でも際立って力強い。男性的な美意識と深い精神性が共存する。

生涯・略歴

山梨県生まれ。高浜虚子に師事しホトトギス系の有季定型俳句を守り続けた山梨を代表する俳人。山岳的・峻烈な自然を詠んだ句が多く「山の俳人」とも称される。長男の飯田龍太も著名な俳人であり父子ともに俳壇の重要人物として名を刻む。代表句集に『山廬集』『椿花集』など。骨太で気概のある句風が特徴。

代表句 (20件)

早春や 藁一本に 水曲がり
父の日の雨音聞いて過ごしけり
早春の 日のとろとろと 水瀬かな
季語: 早春 (spring)
(飯田蛇笏句集)
蚊の名残ふところにすむ夜寒かな
季語: 蚊の名残 (autumn)
【現代語訳】秋の夜の寒さが身にしみる中、生き残った蚊が私の懐(ふところ)のあたりに暖を求めて潜んでいるようだ。【鑑賞】「夜寒」という秋の冷気と、寒さを逃れて人の肌に近いところへと寄ってくる弱々しい蚊の対比が見事です。生き延びようとする蚊の必死さと、人間の孤独な夜の寒さが重なり合います。
空梅雨や土の渇きに草も萎ゆ
姫田螺水ひろごれる濁りかな
季語: 姫田螺 (spring)
【現代語訳】姫タニシが生息する水辺に、春の水がゆったりと広がり、ほんのりと泥が濁っていることよ。 【鑑賞】春になって温かくなり増えた水と、その水底で動き始めた小さな姫タニシの存在感を素朴かつ情感豊かに捉えた一句です。
秋風やむらがり咲ける花圃の中
季語: 花圃 (autumn)
【現代語訳】涼しげな秋の風が吹き抜ける中、庭園のあちこちで秋の花々が群がるように美しく咲き誇っていることだ。【鑑賞】「秋風」という少し寂しげな季語と、「むらがり咲ける」という花々の生命力に満ちた描写を「花圃」という空間の中で見事に調和させています。蛇笏らしい、格調高くも躍動感のある秋の景色が目の前に浮かびます。
鎌払ふて砥石にのする月夜かな
季語: 鎌払ひ (autumn)
【現代語訳】使った鎌をきれいに払い洗い、砥石に乗せて静かに研いでいると、夜空には美しい月が輝いている。\n\n【鑑賞】一日の農作業、あるいは一年の刈り入れを終えた静かな夜、月明かりの下で黙々と道具を手入れする作者の姿が浮かびます。澄み切った秋の月光と、金属的な鎌の輝き、そして冷たい砥石の質感が、静謐で引き締まった美的な空間を作り出しています。
刈りかけて茅のひかりや夕時雨
季語: (autumn)
【現代語訳】刈りかけた途中の茅が、夕方に降ってきた時雨のなかで、しっとりと美しく光っていることよ。【鑑賞】刈りかけの茅の切り口や濡れた葉が、夕暮れの微光を浴びて一瞬だけ放つ生命感に満ちた輝きを見事に捉えた蛇笏の代表作です。
祝融や水に影なき一万戸
季語: 祝融 (summer)
【現代語訳】夏の太陽(祝融)が真上から照りつけ、一万もの家々が立ち並ぶ街には、水面にも影が落ちないほどの強烈な光が満ち満ちている。【鑑賞】「祝融」を夏の猛烈な日差し・暑さとして捉えた句。太陽が天頂に達し、すべてを白日の下に晒し出す猛暑の凄まじさを、「水に影なき」という極限の表現で描き出しています。
をりふしに蛙鳴きだす日暮かな
季語: (spring)
【現代語訳】夕暮れ時になると、折に触れて蛙がぽつりぽつりと鳴き始めることだ。【鑑賞】春の夕暮れの静かな時の流れと、その中に自然と溶け込む蛙の声を捉えた一句です。大合唱する賑やかな蛙ではなく、薄暗くなる景色の中で時折聞こえてくる蛙の声が、山里ののどかさと、どこか寂しげな情緒を醸し出しています。
くらら咲くやいよいよ高き甲斐の空
季語: 苦参 (autumn)
【現代語訳】苦参(くらら)の花が咲き乱れている。見上げれば、甲斐(山梨県)の空がいよいよ高く、どこまでも澄み渡っていることだ。【鑑賞】地表に力強く自生するくららの花と、天高く広がる甲斐の秋の空とのダイナミックな対比が、自然の雄大さを感じさせる名句です。
牛蒡掘るうしろ姿の暮れにけり
季語: 牛蒡掘る (autumn)
【現代語訳】畑で牛蒡を掘っている人の後ろ姿を見つめているうちに、秋の日はあっという間に暮れて、辺りは暗くなってしまった。 【鑑賞】地中深く伸びた牛蒡を掘る作業は時間がかかります。黙々と土に向き合う人の背中と、秋の日の「釣瓶落とし」と呼ばれる急速な日暮れのコントラストが、哀愁を伴って見事に描かれています。
覚猷忌や風に追はるる草の種
季語: 覚猷忌 (autumn)
【現代語訳】鳥羽僧正の忌日の今日、風に追われるようにしてコロコロと草の種が転がっていくことよ。 【鑑賞】風に吹かれて軽快に転がっていく草の種の様子を、鳥獣戯画のコミカルな動物たちの動きになぞらえているかのような面白さがあります。寂寂とした秋の風景の中に、覚猷らしい「おかしみ」を見出した名作です。
がまずみの実のあかあかと山日和
季語: 莢蒾の実 (autumn)
【現代語訳】がまずみの実が太陽の光を浴びて真っ赤に輝いており、まことに気持ちの良い秋の登山日和(山晴れ)である。 【鑑賞】「あかあかと」という重なり合う響きが、秋の澄んだ光の中で輝くガマズミの実の鮮烈な赤を強調しています。蛇笏らしい格調高さと、山里の爽快な秋晴れの空気感が一幅の絵のように伝わってきます。
釜蓋の朔日雲のゆききかな
季語: 釜蓋朔日 (autumn)
【現代語訳】釜蓋朔日の今日、空を見上げれば、ちぎれ雲がせわしなく行き来していることよ。【鑑賞】地獄の釜の蓋が開くという日に、空の雲が忙しく流れる様子を捉えています。まるで霊魂たちが現世へと向かって急いで旅をしているかのような、不思議な躍動感と彼岸への畏怖を感じさせる名作です。
枯草や露けき風のわたりゆく
季語: 枯草の露 (autumn)
【現代語訳】枯れ草が広がる荒涼とした野辺を、露をはらんだかのような湿り気のある冷たい風が吹き抜けていく。【鑑賞】「露けき風」という独自の表現が秀逸です。視覚的な露そのものだけでなく、肌に触れる風の冷たさや湿り気を通じて、大気全体に満ちる晩秋の気配を描き出しています。風が枯草を揺らすかすかな音まで聞こえてきそうな、聴覚的・触覚的にも優れた一句です。
黒鶴の歩みいそがぬ高処かな
季語: 黒鶴 (autumn)
【現代語訳】黒鶴が、せかせかと急ぐ様子もなく、ゆったりとした足取りで高い場所を歩んでいることよ。【鑑賞】飯田蛇笏が得意とする、格調高く重厚な自然描写の句です。黒鶴の持つ威厳と、高い場所という空間の広がりが重なり、秋の張り詰めた空気感と孤独な美しさが表現されています。
鎌はじめ日の光りこそ強からね
季語: 鎌はじめ (autumn)
【現代語訳】稲刈りのために鎌を使い始めるこの朝、差し込む秋の太陽の光はまだそれほど強くはないが、一日の始まりを優しく照らしている。 【鑑賞】新しく研ぎ澄まされた鎌の鋭い刃と、まだ弱々しくも清々しい秋の朝の光の対比が、収穫という厳かな労働の始まりを美しく静かに捉えています。
鎌納めて山の日にしたしみぬ
季語: 鎌納め (autumn)
【現代語訳】秋の収穫作業がすべて終わり、使った鎌をようやく納めて、心静かに秋の山を照らす温かな日の光を眺め、親しむことである。【鑑賞】刈り入れの多忙を極めた日々から解放された安堵感が、秋の陽光の穏やかさと見事に重なっています。自然とともに生きる人間の健やかな暮らしを感じさせる名句です。