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俳句の作り方吟行2026年10月6日

小豆島で尾崎放哉の最後の8か月をたどる|放哉記念館(南郷庵)・西光寺奥の院と、海を見る吟行

はじめての俳句サポーター 凛

はじめての俳句サポーター 凛

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小豆島で尾崎放哉の最後の8か月をたどる|放哉記念館(南郷庵)・西光寺奥の院と、海を見る吟行
小豆島・土庄港に停泊するフェリーと瀬戸内海
小豆島・土庄港。放哉を訪ねる吟行は、穏やかな瀬戸内海から始まります

咳をしても一人

尾崎放哉

五七五でもなく、季語もない。それでも、わずかな言葉の向こうに一人の人間の姿が立ち上がってきます。 尾崎放哉(おざき ほうさい) がこの句を作ったのは、瀬戸内海に浮かぶ小豆島でした。

大正14年(1925年)8月、放哉は小豆島の土庄(とのしょう)へ渡り、西光寺奥の院の 南郷庵(みなんごあん)に入りました。そして翌年4月7日、41歳でその生涯を閉じます。 南郷庵の跡には現在、小豆島尾崎放哉記念館が建っています。資料によると、放哉は8月13日に来島し、20日に南郷庵へ入ったとされています。

記念館も、西光寺も、放哉の墓も、土庄港から歩いて訪ねられる範囲です。 町の路地を歩き、最後に海を見る。放哉の言葉に近づくには、そんな静かな半日がよく似合います。

この記事でわかること

  • 放哉がなぜ小豆島に来て、どんな暮らしをしたか
  • 放哉記念館(南郷庵)、西光寺と奥の院、放哉の墓の場所と見どころ
  • 土庄港から歩いて回る、シニア向けの半日コースとフェリーの情報
  • 自由律俳句で一句作ってみる、この記事だけのヒント
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1. 放哉はなぜ、小豆島に来たのか

尾崎放哉は、明治18年(1885年)に鳥取で生まれました。第一高等学校を経て東京帝国大学法学部へ進み、卒業後は保険会社に勤務。 旧制中学のころから俳句を作り、のちに荻原井泉水(おぎわら せいせんすい)の「層雲」に参加して、自由律俳句へ深く進んでいきました。

会社では要職にも就きましたが、酒にまつわる失敗などから職を離れ、妻とも別れて暮らすようになり、寺や庵を転々としたとされています。 住む場所を求めていた放哉は、井泉水に「小さい庵でよい」「海がそばにあるとよい」という趣旨の願いを伝えていました。 記念館が残す資料にも、海の近くの小さな庵を望んでいたことが伝わっています。

井泉水と交流のあった小豆島の俳人たちの縁から、放哉は1925年8月13日に島へ渡り、20日に南郷庵へ入ったとされています。 庵では、遍路の人々が供える賽銭などをわずかな収入とし、経を読み、手紙を書き、句を作って暮らしました。 病は次第に重くなり、翌1926年4月7日、南郷庵で亡くなります。

小豆島から望む青空と穏やかな瀬戸内海
小豆島から望む瀬戸内海。海を好んだ放哉にとって、南郷庵の小窓から見える海は大きな喜びでした

けれども、この8か月を「孤独」だけで捉えると、放哉が見ていたものを見落とします。

『入庵雑記』には、八畳の部屋にある小さな窓から、人家や畑の向こうに細く瀬戸内海が見え、そこから海の風が入ってきたことが記されています。 海が好きだった放哉にとって、ほんの少しでも海が見える窓は、大きな喜びだったのでしょう。

一人でいること。
そして、海があること。

この二つが、小豆島で放哉を訪ねる旅の芯です。

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2. 放哉の句を、小豆島で読む

放哉の言葉を、小豆島の風景と重ねながら読んでみましょう。 長い説明をせず、目の前にあるものだけを置く。その自由律俳句の魅力がよく分かります。

咳をしても一人

夜の庵で咳をする。返ってくる声はない。それだけを短い言葉で言い切った、南郷庵時代を代表する一句です。 大正14年12月ごろ、南郷庵で作られたとされています。

入れものが無い両手で受ける

何かを差し出されても、入れる器がない。だから両手で受ける。 貧しい暮らしを詠んだ句でありながら、差し出されたものを全身で受け取るような温かさも感じられます。

こんなよい月を一人で見て寝る

「一人」は、放哉を読むうえで忘れられない言葉です。 この句は小豆島ではなく、放哉が神戸の須磨寺で堂守をしていた時期の句とされています。 名月を一人で眺める満足と、誰とも分かち合えない寂しさ。その両方を抱えた句として、小豆島での「一人」と読み比べてみるのもよいでしょう。

春の山のうしろから烟が出だした

放哉の最後の句、あるいは辞世の句とされています。 何かを説明するのではなく、ただ山の後ろに立つ烟を見る。 その静けさが、読む人の側に長く残ります。

放哉は小豆島で遠くの名勝を巡ったのではありません。 庵の中、小さな窓、近所の道、そこから見える山や海。 限られた場所を見つめ続けたからこそ、短い言葉の中に大きな世界が生まれました。

3. 小豆島で訪ねたい場所

① 小豆島尾崎放哉記念館(南郷庵)

放哉が最後の8か月を過ごした南郷庵跡には、平成6年(1994年)4月7日に 小豆島尾崎放哉記念館が開館しました。 南郷庵の姿を復元した建物で、放哉の師・荻原井泉水の遺族から寄贈されたものをはじめ、放哉に関する資料が展示されています。

まず見たいのは、建物の小ささです。そして、小さな窓にも目を向けてください。 現在の景色が放哉の時代と同じとは限りませんが、当時はこの窓から人家や畑の先に、細く海が見えていました。 大きな海ではなく、「窓ひとつ分の海」。その小ささを実際の空間で感じてみてください。

② 西光寺と奥の院

香川県土庄町にある西光寺の朱色の山門
土庄町の西光寺。放哉が暮らした南郷庵は、当時この寺の奥の院でした

西光寺(さいこうじ)は、小豆島八十八ヶ所霊場の第58番札所です。 放哉が暮らした南郷庵は、当時この西光寺の奥の院でした。

放哉を島へ迎えるうえで大きな役割を果たしたのが、当時の住職で自由律俳人でもあった杉本玄々子です。 玄々子は井泉水とも交流があり、その縁が放哉の小豆島での生活につながりました。

境内の高台には、朱色の三重塔「誓願の塔」があります。 これは放哉の生前からあった塔ではなく、放哉の没後に建立されたものです。 現在では「迷路のまち」を歩く際の目印にもなっています。 塔へ向かう周辺には坂や石段があるため、急がず歩きましょう。

③ 放哉の墓

放哉の墓は、南郷庵の上にある西光寺の墓地にあります。 現在も4月7日の放哉忌では西光寺で法要が行われ、その後に墓参と記念館見学が行われています。

放哉は亡くなったあとこの地に葬られ、その後、遺骨は小豆島と故郷・鳥取側に分けて納められたと伝えられています。

静かに訪ねたい場所です。
この記事では墓の写真は掲載しません。実際に訪れたとき、その場所の空気を自分の記憶に残してみてください。

④ 土庄の町と海

放哉ゆかりの場所を訪ねたら、最後は土庄港へ戻って海を見てみましょう。

土庄港の「太陽の贈り物」と青い瀬戸内海
土庄港の「太陽の贈り物」。放哉ゆかりの地を歩いたあと、もう一度海を眺めてみましょう

おすすめは、港にある「太陽の贈り物」の周辺です。 金色のオリーブの葉を王冠のように組んだ作品で、土庄港のシンボルの一つ。 葉には島の子どもたちによる「海へのメッセージ」が刻まれています。

南郷庵の小窓から細く見えた海と、港で大きく開ける海。 同じ瀬戸内海でも、見え方はまったく違います。 その違いも、一句の材料になります。

4. 小豆島のモデルコース(シニア向け)

放哉ゆかりの場所は、土庄の町なかにまとまっています。 寒霞渓やオリーブ公園まで一度に詰め込まず、半日は放哉だけに使うのがおすすめです。

小豆島・土庄港を出航するフェリーと瀬戸内海
帰りのフェリー時刻まで確認してから、ゆっくりと土庄の町を歩きましょう

🚶 コースA:港から歩く半日

土庄港 → 放哉記念館 → 西光寺・奥の院 → 放哉の墓 → 「太陽の贈り物」周辺で海を見る → 土庄港

所要時間は、見学と休憩を含めて2時間半〜3時間ほどを見ておくと安心です。 土庄港から西光寺周辺までは約1.5km。記念館へは徒歩約20分、西光寺へは20〜25分ほどを目安にすると、急がず歩けます。

西光寺や誓願の塔周辺には坂や石段があります。 歩きやすい靴で、疲れたら町なかで休憩を入れましょう。

順番は、記念館を先に。 放哉の暮らしを頭に入れてから墓と海へ向かうと、同じ町の景色が少し違って見えてきます。

🚕 コースB:タクシーで記念館へ(約1時間半)

土庄港 → タクシーで放哉記念館 → 西光寺 → タクシーで土庄港

歩く距離を短くしたい方や、帰りのフェリーまで時間が限られている方におすすめです。 土庄港から記念館周辺までは、車で約5分が目安です。

出発前に確認しておきたいこと

  • フェリーは、島へ渡る前に帰りの便まで確認しましょう
  • 夏は帽子と飲み物を忘れずに
  • 西光寺周辺は坂や石段があるため、歩きやすい靴がおすすめです
  • 記念館の開館日・船の運航状況は、出発前に最新情報をご確認ください

秋に訪ねるなら、港へ戻るころの 秋の暮 も、放哉の「一人」と向き合う時間になります。

5. 小豆島で句を作るヒント ― 自由律で一句

この記事だけの提案です。
いつも五七五で句を作っている方も、
小豆島では一度だけ、その形を外してみませんか。

ヒント1|いちばん短い言葉で言う

見たこと、感じたことを、これ以上削れないところまで削ってみます。 「海が見える」「一人で歩く」。説明を足さず、そのまま置いてみるところから始めます。

ヒント2|「一人」を入れてみる

一人の吟行なら、その事実を隠さず句にしてみます。 「一人」は必ずしも寂しさではありません。一人だから気づく音、一人だから長く見ていられる景色もあります。

ヒント3|庵の広さで詠む

港いっぱいの海を全部詠もうとせず、畳一枚、窓ひとつ、石段一段に視線を寄せてみてください。 狭く見るほど、言葉が見つかることがあります。

ヒント4|帰りの船で、両手を見る

入れものが無い両手で受ける

帰りの船で、自分の両手を見て、この日に受け取ったものを思い返してみてください。 海の風でも、誰かの言葉でも構いません。それを、その日の一句にしてみましょう。

作例

窓ひとつ分の海

編集部作例・自由律

港まで歩いて来てただ海を見ている

編集部作例・自由律

春の海見えて放哉の窓小さし

編集部作例・定型

6. 小豆島尾崎放哉記念館・西光寺の施設情報とアクセス

小豆島尾崎放哉記念館

所在地 香川県小豆郡土庄町甲1082
開館時間 9:00〜17:00(入館は16:30まで)
休館日 毎週水曜日、12月28日〜1月4日
入館料 大人220円/小人110円
公式サイト 小豆島尾崎放哉記念館 公式サイト

西光寺・奥の院

所在地 香川県小豆郡土庄町甲200
霊場 小豆島八十八ヶ所霊場 第58番札所
境内 無料

※施設情報は2026年10月確認。休館日・料金・船の運航状況などは変更される場合があります。お出かけ前に最新情報をご確認ください。

アクセス

土庄港から放哉記念館までは徒歩約20分、車なら約5分。 西光寺までは徒歩20〜25分ほどが目安です。

高松港から土庄港へは、フェリーで約60分、高速艇で約35分。 岡山港から土庄港へはフェリーで約70分です。

船の時刻は変更されることがあります。 出発前に必ず最新の運航状況と帰りの便を確認してください。

7. 小豆島に泊まる旅

小豆島は日帰りでも訪ねられますが、放哉の旅なら、一泊する意味があります。

夕方の海と、翌朝の海。 放哉が南郷庵で見ていたのは、「観光地としての海」ではなく、毎日そこにある海でした。 島に泊まると、その感覚に少し近づけます。

小豆島オリーブ公園の緑のポストとオリーブの木
翌日は小豆島オリーブ公園など、島の別の表情を訪ねるのもおすすめです

翌日は、寒霞渓(かんかけい)や小豆島オリーブ公園などへ足をのばしてもよいでしょう。

個人でフェリーや宿を手配するのが不安な方には、添乗員同行ツアーという選択肢もあります。 小豆島や瀬戸内方面を含むコースがないか、出発地と旅行日から探してみましょう。

JTB旅物語で小豆島・瀬戸内方面の旅を探す ツアー内容・設定日は最新情報をご確認ください

※放哉記念館がツアーの行程に含まれているとは限りません。自由時間や宿泊地、移動時間をご確認のうえお選びください。

よくある質問

「咳をしても一人」はどこで作られた句ですか
尾崎放哉が最晩年を過ごした、小豆島・土庄の南郷庵で作られた句です。 南郷庵跡には現在、小豆島尾崎放哉記念館が建っています。
尾崎放哉の墓はどこにありますか
小豆島・土庄の西光寺の墓地にあります。 南郷庵跡に建つ放哉記念館の近くです。
放哉記念館へは、どうやって行きますか
土庄港から徒歩約20分、車・タクシーなら約5分です。 土庄港へは、高松港からフェリーで約60分、高速艇で約35分です。
尾崎放哉は小豆島にどれくらいいましたか
大正14年(1925年)8月に小豆島へ渡り、8月20日に南郷庵へ入りました。 翌大正15年(1926年)4月7日に亡くなるまで、約8か月です。 「咳をしても一人」「入れものが無い両手で受ける」など、小豆島時代を代表する句が残されています。

8. まとめ

放哉は、小豆島の小さな庵で最後の8か月を過ごしました。 遠くへ出かけるのではなく、小さな窓から見える海を喜び、身のまわりのものを見つめながら句を作りました。

吟行というと、名所を次々に歩くことを想像するかもしれません。 けれども放哉が教えてくれるのは、ひとつの場所に留まり、目の前のものを深く見る方法です。

小豆島を訪ねたら、まず庵の小ささを見てください。
そして最後に、港で海を見てください。

そこで心に残った言葉が五七五にならなくても、すぐに捨てないでください。 放哉を訪ねた一日だからこそ、その形のまま一句にしてみる。 それもまた、小豆島でしかできない吟行の楽しみ方です。

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