1901年 - 1983年

中村草田男

なかむらくさたお

作風・特徴

人間や生活に根ざした思想性の強い句風。「人間探求派」の代表的存在。

生涯・略歴

明治・昭和期の俳人、国文学者。清国福建省厦門(アモイ)に領事の長男として生まれる。本名・清一郎。幼少期に帰国し松山で育つ。東京帝国大学国文科卒。高浜虚子に師事し「ホトトギス」で客観写生を学びつつ、ニーチェなど西洋思想の影響を受け、生活や人間性に根ざした句を追求。石田波郷・加藤楸邨らとともに「人間探求派」と呼ばれた。戦後は俳誌「萬緑」を創刊・主宰。代表句に「降る雪や明治は遠くなりにけり」「万緑の中や吾子の歯生え初むる」など。成蹊大学名誉教授。1983年(昭和58年)没。

代表句 (14件)

杉菜の 雨民の竈の 一つを焚く
万緑の中や 吾子の歯 生えそむる
季語: 万緑 (summer)
1939句集『火の島』(1939年・昭和14年刊)
胡桃割るやいづこも暗きおのが影
季語: 胡桃 (autumn)
【現代語訳】胡桃を割っていると、部屋のあちこちに、自分自身の暗い影が落ちているのが見える。【鑑賞】胡桃の硬い殻を割るという、ひたむきで少し力を要する孤独な作業。その一瞬一瞬に、自分の周囲に落ちる影の暗さが意識されます。自己の内面を見つめるような、草田男らしい厳格さと深い省察が込められた一句です。
開襟の胸に落したるマッチの火
季語: 開襟 (summer)
【現代語訳】開襟シャツの開いた胸元に、うっかり点けたばかりのマッチの火を落としてしまった。 【鑑賞】夏ののどかな日常の中で、開いた胸元にマッチの火が落ちるという一瞬の危うさと緊張感を捉えた句です。「開襟」の持つ無防備な開放感と、熱いマッチの火の対比が鮮やかで、一瞬のハプニングが生々しく描かれています。
降る雪や明治は遠くなりにけり
季語: (winter)
【現代語訳】しんしんと降りしきる雪を見ていると、自分が生まれ育った明治という時代が、はるか遠い過去のものになってしまったとしみじみと感じられる。【鑑賞】昭和初期に詠まれた句。昭和に入り急速に変化していく社会の中で、降りしきる雪がすべての過去を覆い隠していくかのような無常感と、過ぎ去った青春時代や「明治」という時代への郷愁が、静かに美しく表現されています。
唐胡麻の葉の青さもて秋惜しむ
季語: とうごま (autumn)
【現代語訳】唐胡麻の葉の深い青さを見つめながら、去りゆく秋を惜しんでいる。 【鑑賞】晩秋になっても色褪せず青さを保ち続ける唐胡麻の大きな葉に焦点を当てています。衰えゆく季節の中で凛と立つその青さに、秋の深まりと名残惜しさを託した心情豊かな名句です。
秋麗の山みな古き名を持ちぬ
季語: 秋麗 (autumn)
【現代語訳】秋の麗らかな光の中にそびえる山々は、どれも歴史ある古い名を持っていることだ。 【鑑賞】澄み切った秋の光の中にくっきりと浮かび上がる山々を眺め、その一つひとつに刻まれた長い歴史や風土の重みに思いを馳せています。秋麗という季語の持つ格調高さと、古の名を持つ山々の風格が見事に調和した名句です。
秋を迎ふる胸のたかぶり覚えけり
季語: 秋を迎ふ (autumn)
【現代語訳】新しい秋の季節を迎え、私の胸の内に静かな興奮と高鳴りが湧き上がってくるのを感じた。 【鑑賞】秋の訪れを単なる寂しさや哀愁としてではなく、知性や創作への意欲、精神の躍動として受け止めた句です。近代的な自我と情熱を重んじた草田男らしく、「秋を迎ふ」という季語に新鮮で前向きな生命感を吹き込んでいます。
会式太鼓遠きはひびき一つなる
季語: 会式太鼓 (autumn)
【現代語訳】遠くで鳴り響く御会式の太鼓は、無数の音が重なり合い、一つの大きな響きとなって届いてくる。【鑑賞】現場の喧騒から離れた場所で耳を傾けている場面です。数千数万の団扇太鼓の音が、距離を隔てることで溶け合い、夜空を震わせる一つの巨大なうねりとなって届く情景を鋭く捉えています。
台風裡いのちの息を深く吸ふ
季語: 台風裡 (autumn)
【現代語訳】台風が猛威を振るう渦中にあって、私は生きている実感とともに深く息を吸い込む。 【鑑賞】自然の圧倒的な破壊力とエネルギーに包囲されることで、かえって自らの「いのち」の鼓動や存在を強く意識した瞬間を捉えています。「深く吸ふ」という能動的な身体感覚を通して、嵐に立ち向かう人間の強い生命力が立ち現れてきます。
東京蟋蟀ビルの谷間の夜の底
季語: 東京蟋蟀 (autumn)
【現代語訳】そびえ立つ高層ビルの谷間にある夜の底で、東京の蟋蟀が小さく鳴き声を響かせている。【鑑賞】摩天楼が切り取る冷たい夜空と、その底深くに沈む街角。圧倒的な巨大構造物の狭間でかすかに響く虫の声が、都市の底知れぬ深さと、そこに生きるものの存在の小ささを象徴的に浮き彫りにしています。
道詮忌夢殿の戸の細目より
季語: 道詮忌 (autumn)
【現代語訳】道詮忌の今日、夢殿の扉がほんの少し細めに開けられている隙間から、神秘的な奥の気配が感じられる。【鑑賞】普段は固く閉ざされがちな夢殿の扉が少しだけ開かれている様子に注目し、秋の光や風が堂内へと吸い込まれていく神秘性と、古刹の静かな緊張感を巧みに切り取っています。
白帝やあるときは大童女像
季語: 白帝 (autumn)
【現代語訳】秋を司る神・白帝の気配は、ある時は巨大で堂々とした少女の像のようにも感じられる。 【鑑賞】白帝という威厳に満ちた秋の神を、厳格な老翁などではなく無邪気で力強い「大童女(おおどうじょ)」の姿として捉えた独創的な名句です。秋の訪れがもたらす圧倒的なスケール感と清冽な生命力が、鮮烈なイメージで立ち現れています。
芭蕉葉に雨たばしりて暮れにけり
季語: 芭蕉葉 (autumn)
【現代語訳】広大な芭蕉の葉に激しく雨粒が跳ね散って、そのままあたりは日が暮れてしまった。\n【鑑賞】「たばしりて(激しく飛び散って)」という力強い言葉により、雨が大きな芭蕉葉を打ちつける豪快な音と激しい水飛沫がありありと浮かびます。夕暮れの暗がりと秋雨の冷たさが強く印象に残るダイナミックな一句です。