186729年 - 1916129年

夏目漱石

なつめそうせき

作風・特徴

文豪らしい知性と叙情が融合した句風。心理の機微や人生への洞察がわずか17音に凝縮される。難解さはなく平明な言葉で深い感情を伝える筆致が俳句入門者にも親しまれる。

生涯・略歴

江戸牛込(現・東京都新宿区)生まれ。「坊っちゃん」「吾輩は猫である」「こころ」などで知られる明治を代表する文豪。正岡子規と東京大学で同級生として親交を深めた縁から俳句にも精通し約2,500句を残した俳人でもある。子規から俳句の手ほどきを受け共に句会を開くほどの仲だった。

代表句 (20件)

短夜や浅瀬にのこる月あかり
季語: 短夜 (summer)
漱石俳句集
観菊の御宴やいそぐ車人力
季語: 観菊御宴 (autumn)
【現代語訳】観菊の宴に招かれた人々を乗せた人力車が、せわしなく行き交い急いでいる。【鑑賞】近代化が進む明治期の東京の活気と、宮中行事へと急ぐ紳士淑女たちの華やいだ焦燥感を、街を駆ける人力車の動きを通して生き生きと描いています。
木の実だんご落して赤し秋の風
季語: 木の実団子 (autumn)
【現代語訳】せっかくの木の実団子をうっかり地面に落としてしまった。その団子が、寂しい秋の風が吹く中でぽつんと赤く見えている。【鑑賞】木の実団子の自然な赤み、あるいは色づけされた赤が、地面に落とされたことで、冷たい秋の風の中で鮮やかに浮かび上がる様子を描いています。落としてしまったという小さな失敗の可笑しみと、視覚的な色彩の対比が、漱石らしいユーモアと哀愁を漂わせています。
蚊帳の雁まだ旅だたぬ夜寒かな
季語: 蚊帳に雁を描く (autumn)
【現代語訳】蚊帳に縫い留められた雁は、本物の雁のように北国へ旅立つこともなくそこに留まっているが、夜はいよいよ寒くなってきたことだなあ。【鑑賞】秋が深まり夜寒を覚えるようになっても、まだ蚊帳を片付けずにいる生活感を詠んでいます。旅立てない「蚊帳の雁」への、漱石らしいユーモラスで少し哀愁を帯びた眼差しが印象的です。
刈干のなかに埋るる山路かな
季語: 刈干 (autumn)
【現代語訳】山道を進んでいくと、両側に干された刈草に囲まれて、まるで道そのものが刈干の中に埋もれてしまっているかのようだ。【鑑賞】刈干の量が非常に多く、山路を覆い尽くさんばかりに干されている豊かな里山の光景を描いています。歩みを進める作者自身が草の香りに包まれていくような臨場感があります。
淋しさにまた飯を食う暮の秋
季語: 暮の秋 (autumn)
【現代語訳】秋の終わりがもたらす言いようのない寂しさに耐えかねて、お腹も空いていないのにまたご飯を食べてしまうことだ。 【鑑賞】文豪・漱石ならではの、ユーモアと哀愁が入り混じった日常の一コマです。「暮の秋」という大きな季節の寂寥感に対して、「飯を食う」という極めて俗っぽく人間味のある行為を取り合わせた、妙味溢れる名作です。
栗虫を殺して秋を惜しみけり
季語: 栗虫 (autumn)
//現代語訳//栗の中にいた虫を退治しながら、去りゆく秋の物寂しさを惜しんでいることだ。【鑑賞】「栗虫を殺す」という日常の細やかな、少し残酷な行為を通して、秋の終わりがもたらす一抹の寂寥感を表現しています。
肌寒や読書に飽きて灯を消せば
季語: 肌寒 (autumn)
【現代語訳】肌寒さを感じるなぁ。読書に飽きてしまい、部屋の灯りを消すと、なおさら闇の中に冷気が満ちてくるようだ。【鑑賞】灯火親しむ秋の夜の読書から、ふと現実に引き戻された瞬間の孤独感と肌寒さが、灯を消した後の暗闇とともに効果的に表現されています。
冬を待つ障子を張つてしまひけり
季語: 冬を待つ (autumn)
【現代語訳】冬の到来を待つばかりとなった晩秋、部屋の障子をすべて新しく張り終えたことである。 【鑑賞】障子の張り替えという具体的な冬支度の行為を通して、冬を迎える準備が整ったという満足感と、これから訪れる厳しい寒さに対する静かな覚悟が、すっきりとした表現の中に描写されています。新しくなった真っ白な障子が、来たるべき冬の光を予感させます。
年越の蕎麦吹きさますいとまかな
季語: 年越蕎麦 (winter)
【現代語訳】年越しの蕎麦をフーフーと息を吹きかけて冷ましていると、ようやく忙しかった一年のすべての用事を終えて、ほっと一息つける静かな時間が訪れたことを感じるなぁ。【鑑賞】大晦日の慌ただしさをすべて片付け、除夜の鐘を前にしてようやく年越し蕎麦を食べる瞬間の安堵感を捉えています。蕎麦を「吹きさます」というささやかな動作に、時間的なゆとり(いとま)と心安らかな年の瀬の情緒が美しく表現されています。
風草やどこまで行けば人の家
季語: 風草 (autumn)
【現代語訳】道端に風草が生い茂る寂しい田舎道を歩いているが、一体どこまで行けば人の住む家が見えてくるのだろうか。 【鑑賞】旅の途中の心細さと、あたり一面に広がる風草の荒涼とした美しさが対比されています。風に揺れる草ばかりが続く光景から、作者の孤独感と静かな旅情が深く伝わってくる一句です。
蟷螂の鎌ふり立つる日和かな
季語: 蟷螂 (autumn)
【現代語訳】かまきりがその鎌を勢いよく振り立てている。なんと気持ちよく晴れ渡った秋の日和であることよ。 【鑑賞】秋晴れの陽気の中、小さなかまきりが精一杯に自分を主張している姿を、温かいユーモアをもって見つめています。気難しくなりがちな秋の季節に、明るさと健気な生命力を与えてくれる一句です。
残雁や己が影追ふ水の上
季語: 残雁 (autumn)
【現代語訳】取り残された雁が、水面に映る自分自身の影を追うようにして飛んでいる。 【鑑賞】仲間とはぐれて一羽だけで飛ぶ雁が、水面に映る己の姿に寄り添うように飛ぶ様子を描いており、深い孤独感と叙情が感じられます。
玉蟾の光を享けて初紅葉
季語: 玉蟾 (autumn)
【現代語訳】美しい秋の月の光をその身いっぱいに受けて、色づき始めた初紅葉が照らし出されている。【鑑賞】漱石らしい漢学の素養が活かされた雅やかな一句です。上空に輝く「玉蟾」の清らかな光と、地上で鮮やかに色づく「初紅葉」のコントラストが実に鮮明で、優雅な秋の夜景が眼前に広がります。
霧雫落ちて覚むるや草の虫
季語: 霧雫 (autumn)
【現代語訳】霧雫がポタリと落ちたことで、草むらに潜んでいた虫が目を覚ましたのだろうか。【鑑賞】静まり返った秋の草むらに落ちた一滴の霧雫。そのかすかな衝撃と音から、静寂のなかに息づく小さな命の営みへと視点を広げた繊細で情趣あふれる作品です。
草相撲勝負つかずに暮れにけり
季語: 草相撲 (autumn)
【現代語訳】草相撲の勝負がなかなか決着がつかないまま、秋の短い日はとっぷりと暮れてしまった。【鑑賞】素人同士の相撲ゆえに互いに引かず、もつれ合っているうちに日が暮れてしまったというユーモラスな一幕です。秋の日の暮れやすさと、土地の人々の微笑ましい真剣勝負が巧みに対比されています。
九年母の香にむせびたる夕哉
季語: 九年母 (autumn)
【現代語訳】九年母のあまりにも芳烈な香りに、思わず息を詰まらせる(むせる)ほどの夕暮れであることよ。\n【鑑賞】九年母の皮が放つ強い芳香を大胆に表現した句です。「むせびたる」という実感のこもった言葉遣いによって、夕暮れの冷気の中に立ちのぼる芳香の濃密さが生々しく立ち現れます。
栗棚に日は落ちかかる山路かな
季語: 栗棚 (autumn)
【現代語訳】山道を歩いていると、農家の栗棚にちょうど夕日が沈みかかっている光景に出会ったことだ。 【鑑賞】旅の途中の山道で出会った、秋の夕暮れの素朴な農村風景を詠んでいます。収穫された栗が並ぶ棚に沈みゆく夕日の温かな光が重なり、旅情と季節の深まりを感じさせます。
牽牛星の光りやうすし秋の風
季語: 牽牛星 (autumn)
【現代語訳】牽牛星の光がどこか淡くかすかに見える、吹き抜ける秋の風のせいであろうか。 【鑑賞】夜空に瞬く星の光の儚さと、季節の移ろいを告げる秋風の冷たさを結びつけた一句です。文豪・漱石らしい繊細な感受性が、星の光の微妙なニュアンスを通じて表現されています。
玄兎今宵照らさぬ隈もなかりけり
季語: 玄兎 (autumn)
【現代語訳】今夜の月はひときわ明るく澄み渡り、照らし出さない物陰などどこにもないほどに、天地を余すところなく照らしている。\n【鑑賞】漢詩の素養が深い漱石らしい、堂々たる調べの句です。秋の澄み切った月光が夜の闇を隅々まで明るく照らし尽くす様子を、「玄兎」という格調ある言葉を用いて雄大に表現しています。
夏目漱石(なつめそうせき)の生涯と代表的な名句 | 俳句びと歳時記WEB | 俳句びと