1900年 - 1988年

中村汀女

なかむら ていじょ

作風・特徴

台所・縁先・家族など日常の場を舞台に女性の視線で俳句の対象を広げた先駆者。気負いなくしかし鋭く日常の一瞬を捉える。温かさの中に凛とした女性の芯がある句風。

生涯・略歴

熊本県生まれ。ホトトギス四Tの一人。高浜虚子に師事し「風花」を創刊・主宰した。家庭生活の中の日常を女性ならではの視線で詠んだ温かみある句が多く「台所俳句」とも評された。生活と俳句を一体として捉えた姿勢は多くの女性俳人に影響を与え女流俳句の地位向上に貢献した。

代表句 (20件)

夏至の夜の灯を消してより白かりし
季語: 夏至 (summer)
汀女句集
飛び立ちて振り返らざる巣立ちかな
カーニバル仮装のままに老いにけり
季語: 鎌倉カーニバル (summer)
【現代語訳】カーニバルの華やかな仮装姿を楽しんでいるうちに、気がつけば自分もこのように年老いてしまったことよ。【鑑賞】きらびやかな衣装を身にまとい、非日常の喧騒の中に身を置きながらも、ふと自らの年齢や時の流れの早さに思いを馳せています。華やかさと老いの対比が心に刺さる名句です。
球根を植ゑしばかりの土ぬくし
季語: 球根植う (autumn)
【現代語訳】チューリップなどの球根を植えたばかりの土は、どこか温もりを感じさせる。【鑑賞】春咲く球根を秋の日に植え付ける作業には、未来の開花への温かな期待が込められています。植えたての柔らかい土に触れたときのぬくもりと愛情が素直に詠まれています。
秋虹の消えてしまひし空の青
季語: 秋虹 (autumn)
【現代語訳】秋の虹が淡く消えてしまったあとに、ただどこまでも澄み切った青空が残されている。【鑑賞】虹そのものを描くのではなく、虹が消え去った「後の空」の青さを詠むことで、秋の空の吸い込まれるような澄明さと、虹の余韻を鮮烈に際立たせています。素直な表現の中に深い情感が宿る一句です。
秋の蝶ひるがへりつつ消えにけり
季語: 秋の蝶 (autumn)
【現代語訳】秋の蝶がひらひらと羽をひるがえしながら飛んでいたが、やがてふっと見失い、消えてしまった。 【鑑賞】秋の日差しの中で羽を一瞬きらめかせながら、あっけなく視界から消え去っていく蝶の姿を繊細に詠んでいます。「消えにけり」という結びによって、秋の深まりとともに命が終わりへ向かう寂しさと余情が見事に表現されています。
ピクニック秋晴の野に解く包
季語: 秋のピクニック (autumn)
【現代語訳】ピクニックに訪れた秋晴れの野原で、楽しみにしていたお弁当の包みをほどく。 【鑑賞】青空が広がる広場で、いよいよお弁当を広げる瞬間のワクワクとした期待感が生き生きと描かれています。「解く包」という具体的な動作が、ピクニックの喜びを鮮明に浮き彫りにしています。
秋の日やひそかに通る水の音
季語: 秋の日 (autumn)
【現代語訳】穏やかな秋の日のこと、どこからともなく静かに流れる水の音が聞こえてくる。【鑑賞】秋の日の静寂と透明感が、かすかに響く水の音によって際立ちます。視覚的な秋の光と聴覚的な水のせせらぎが美しく溶け合い、しみじみとした季節の情感が立ち現れる名句です。
秋薔薇や母恋ふこころやや薄れ
季語: 秋薔薇 (autumn)
【現代語訳】秋の薔薇が咲いている。亡き母(あるいは遠い母)を恋しく思う切実な情も、時を経ていくらか薄れてきたことだ。【鑑賞】咲き誇るのではなく静かに咲く秋薔薇を前に、歳月の経過とともに穏やかになっていく切ない情愛と寂寥感を素直に詠出しています。
児の顔に手を置きみれば秋深し
季語: 秋深し (autumn)
【現代語訳】眠っている我が子の顔にそっと手を触れてみると、そのあたたかさと周りの冷たい空気から、秋が深まったことをしみじみと感じる。【鑑賞】冷え込む晩秋の空気感と、我が子の柔らかな体温という触覚の対比が心に残る名句です。母親としての深い愛情と、季節の推移を日常の肌感覚で捉えた名作です。
雨冷や厨の火種いま起す
季語: 雨冷 (autumn)
【現代語訳】秋の雨が降って肌寒くなってきたので、台所の火種を今ちょうど熾(おこ)したところだ。\n【鑑賞】外の冷え込みに対して、台所で火を熾すという日常の営みを描いています。火の温かさと明るさが、雨冷の肌寒さを際立たせるとともに、生活の温もりと家族を思いやる気配が優しく満ちています。
精霊流し火の消えし舟も行く
季語: 精霊流し (autumn)
【現代語訳】精霊流しの川面を、灯火が消えてしまった舟もまた、静かに他の舟とともに流れてゆくことだ。 【鑑賞】流された精霊舟のなかには、風や波で火が消えてしまったものもあります。しかし、火が消えても舟は冥界へと向かって進んでいきます。華やかな灯火の列の中でふと火の消えた舟を見つめる眼差しに、人生の諸行無常や深い哀愁、命を見送る静かな慈愛が宿っています。
無花果や母のいかりのいつとけし
季語: 無花果 (autumn)
【現代語訳】無花果の実を見ていると、かつて母が立腹していたのが、いつの間にか和らいでいた幼い日の記憶が思い出される。【鑑賞】熟れると柔らかくほどける無花果の質感と、母の怒りがいつしか静まり優しい表情に戻っていた記憶とを取り合わせています。甘酸っぱく懐かしい母との情愛が鮮やかに描かれています。
犬飼星あらはれそめて川の音
季語: 犬飼星 (autumn)
【現代語訳】空に犬飼星が現れ始めるとともに、近くを流れる川のせせらぎの音が耳に届いてくる。 【鑑賞】夕暮れから夜へと移り変わる瞬間の静けさを捉えています。視覚としての星の現れと、聴覚としての川の音の対比が、秋の夜の深まりを感じさせます。
稲刈月村のならひの早寝かな
季語: 稲刈月 (autumn)
【現代語訳】稲刈りの忙しい季節、村の毎年の習慣どおりに、人々は皆早くに床に就くことだ。【鑑賞】朝早くから総出で稲刈りに励む農村では、夜になると一斉に静まり返ります。「早寝」という何気ない生活習慣に焦点を当てることで、農村の人々の健康的で勤勉な営みと、心地よい疲労感を素朴に伝えています。
稲干すや小さき祠のうしろまで
季語: 稲干す (autumn)
【現代語訳】刈り取った稲が干されている。田の片隅にある小さな祠のすぐ後ろまで、びっしりと稲が掛けられていることだ。 【鑑賞】農村の畦や隅にある小さな神様の祠(ほこら)の背後にまで稲架が立ち並ぶ風景を、女性らしい繊細な視線で切り取っています。土地を余すところなく使い切る農作業の活気とともに、土地の神様への感謝や親しみも自然と感じられる温かな作品です。
印度林檎ひとつを分ち母子かな
季語: 印度苹果 (autumn)
【現代語訳】ひとつの大きな印度林檎を、母親と子どもで切り分けて仲良く食べていることだ。 【鑑賞】大ぶりで甘い印度林檎を親子で分け合って食べる、日常の温かな一コマを捉えています。家庭的な温もりと親子の愛情が、林檎のみずみずしい甘さとともに素直に伝わってくる作品です。
薄紅葉一枚づつの別れかな
季語: 薄紅葉 (autumn)
【現代語訳】淡く色づいた葉が、一枚また一枚と枝を離れて散っていく。それはまるで静かな別れのようだ。\n【鑑賞】葉がひらひらと舞い落ちる情景を、人と人との別れのように見立てた叙情豊かな名句です。「薄紅葉」という淡い色彩の季語を選ぶことで、散りゆく寂しさがより繊細で儚く心に響きます。
団扇仕舞ふて物書く癖のなほ残る
季語: 団扇仕舞ふ (autumn)
【現代語訳】団扇を片付けたというのに、片手に団扇を持ったまま物を書く夏の癖がまだ抜けないでいる。【鑑賞】夏の間ずっと団扇を片手に持ちながら執筆や作業をしていた習慣が、団扇を仕舞った後にもふと身体に残っている面白さと、訪れた季節の移り変わりを実感する軽妙な一句です。
虚抜大根手許明るく洗ひをり
季語: 虚抜大根 (autumn)
【現代語訳】間引いた大根を洗っていると、その鮮やかな緑と白の輝きで手元が明るく照らされるように感じられる。 【鑑賞】台所や井戸端での日常のひとコマを瑞々しく切り取っています。「手許明るく」という表現に、秋のみずみずしい野菜を扱う喜びと、日々の家庭生活への深い愛着が表れています。