1907年 - 1997年

細見綾子

ほそみあやこ

作風・特徴

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生涯・略歴

細見 綾子(ほそみ あやこ、1907年3月31日 - 1997年9月6日)は、兵庫県出身の俳人。松瀬青々に師事、「倦鳥」を経て「風」同人。夫は沢木欣一。

代表句 (20件)

鎌祝ひすこし酔ひたる顔ばかり
季語: 鎌祝 (autumn)
【現代語訳】刈上げを祝う鎌祝の席で、集まった人々は皆、少しお酒が入ってほんのりと赤い顔をしている。【鑑賞】きつい農作業を共に支え合った家族や仲間たちの、安堵と喜びが入り混じった和やかな表情が「すこし酔ひたる顔ばかり」に活写されています。農村の温かい連帯感と、大役を果たした満足感が伝わってくる名句です。
一つづつ南瓜に顔のある如し
季語: 南瓜 (autumn)
【現代語訳】収穫されて並んでいる南瓜を見ていると、そのゴツゴツとした一つひとつに、まるで人間の顔のような異なる個性があるように思えてくる。【鑑賞】形や大きさ、皮の凹凸がそれぞれ異なる南瓜のユーモラスな表情を「顔」と見立てた、愛嬌と優しさに満ちた一句です。それぞれの南瓜が持つ素朴な生命力が伝わってきます。
鎌祝ひすまして畳なつかしき
季語: 鎌祝ひ (autumn)
【現代語訳】鎌祝いの行事をすべて済ませて、ようやく座ることができた畳が、しみじみと懐かしく感じられる。 【鑑賞】連日の過酷な稲刈り仕事の間、ゆっくり畳に座る暇もなかったのでしょう。すべての作業と祝い事を終え、ようやく我が家の畳に腰を下ろした瞬間の、身体の芯から湧き上がる安堵感と畳の温かい感触が「なつかしき」という一語に凝縮されています。
球根を植うるばかりに土掘りぬ
季語: 球根秋植う (autumn)
【現代語訳】ただ球根を植え付ける、そのことのためだけに、ひたすら庭の土を掘り起こしたことだ。【鑑賞】「〜ばかりに」という表現から、余計な雑念を払い、無心になって土と向き合う作者の姿が浮かびます。土を掘るという最も素朴な労働の中に、生命を地中に託す厳かさと静かな喜びが満ちています。
胡桃割るわが掌をいたはらむ
季語: 胡桃 (autumn)
【現代語訳】硬い胡桃を割ったあと、その力を尽くして痛んだ自分の手のひらを、そっといたわってあげよう。【鑑賞】胡桃を割るのには思いのほか力が要り、手のひらに殻の凹凸が赤く残ったりします。その小さな痛みに目を留め、自分自身の身体を優しくいたわる作者の、日常に対する温かく細やかな眼差しが魅力的な句です。
木の実独楽よくまはるのを貰ひけり
季語: 木の実独楽 (autumn)
【現代語訳】手作りの木の実独楽の中で、特によく回るものを人から分けてもらったことだ。【鑑賞】子どもたちの遊び道具である木の実独楽。たくさんある中から、軸がぶれずに実によく回る一番出来の良いものを譲り受けた素直な喜びが、飾らない言葉で表現されています。秋の日の素朴で温かい交流が目に浮かびます。
鳥兜しづかに毒をためて咲く
季語: 兜菊 (autumn)
【現代語訳】鳥兜の花が、その体の中に静かに毒を蓄えながら、ひっそりと咲いている。【鑑賞】兜菊(鳥兜)の美しさと恐ろしさの本質を見事に射抜いた名句です。「しづかに」「ためて」という平易な言葉遣いが、かえってこの植物が持つ底知れない妖しさと冷たい緊張感を際立たせています。静寂の中にみなぎる生命の気配を感じさせます。
金冬瓜ころがりて庭の広さかな
季語: 金冬瓜 (autumn)
【現代語訳】金冬瓜が庭に転がっている。ただそれだけのことなのだが、その存在感のせいか、庭がいつもより広く感じられることだ。【鑑賞】金冬瓜のごろんとした丸みと鮮やかな黄色が、庭の空間的な広がりを際立たせています。秋ののどかな一日、何気ない庭の風景に潜む美しさとユーモアを、素直な視線で切り取った名句です。
萱刈るや日かげになりし奥の谷
季語: 萱刈る (autumn)
【現代語訳】萱を刈っていると、いつの間にか谷の奥深くは日が当たらなくなり、薄暗い影に包まれてしまったことだ。【鑑賞】晩秋の日の短さを、谷間に落ちる影という視覚的変化によって鮮やかに描き出しています。萱刈りという労働を通じて、季節の移ろいと冷え冷えとした空気感が伝わってくる繊細な一句です。
黒酸漿こぼれて庭の広ごりぬ
季語: 黒酸漿 (autumn)
【現代語訳】黒酸漿の実が熟してこぼれ落ち、それによって庭がさらに奥深く、広く感じられるようになったことだ。【鑑賞】庭の片隅に実った黒酸漿がこぼれる様子から、秋が深まり植物が枯れゆくことで、かえって庭の見通しが良くなり、広がりを感じるという繊細な季節の移ろいをとらえています。
日あたりて新松子より匂ひけり
季語: 新松子 (autumn)
【現代語訳】あたたかな秋の日が差し込んで、新しい松ぼっくりから松脂の清々しい香りが立ち上ってきた。 【鑑賞】視覚的な光の描写(日あたりて)から、嗅覚(匂ひけり)へと感覚が心地よく移行する句です。乾ききる前の、まだ瑞々しく水分や松脂を含んだ「新松子」ならではの新鮮な香りが、読者にもそのまま届くような優しく温かみのある作品です。
蘭草を刈りて日向に干しにけり
季語: 蘭草 (autumn)
【現代語訳】蘭草をきれいに刈り取って、日当たりの良い場所に丁寧に干したことだ。 【鑑賞】乾燥させることで良い香りを放つようになる蘭草の特性を、素朴な日々の営みとして捉えた一句。柔らかな秋の光と、やがて立ち上る芳香への予感が、穏やかな日常の豊かさを伝えています。
風草の吹かれ通しの明るさよ
季語: 風草 (autumn)
【現代語訳】風草が秋の風にずっと吹かれ続けて揺れているが、その様子はどこまでも明るく、澄み渡っていることよ。 【鑑賞】風に揺れ続ける風草の姿を、寂しさやはかなさとして捉えるのではなく、秋の光の中での「明るさ」として捉えた名句です。風をいなす草のしなやかな生命力と、秋の澄んだ空気感が心地よく表現されています。
石鼎忌こころの吉野雪ならむ
季語: 石鼎忌 (winter)
【現代語訳】石鼎忌を迎えた今日、私の心の中にある吉野の山には、しんしんと美しい雪が降っていることだろう。【鑑賞】原石鼎といえば、その代表作の舞台である奈良の吉野が深く結びついています。細見綾子は石鼎を偲び、自らの心象風景としての「吉野」に思いを馳せ、そこに静かに降る雪を思い描いています。石鼎の情熱的かつ峻烈な作風への敬意が、冬の厳しさと美しさに重ねられています。
光蝦こぼるる網や春の海
季語: ひかり蝦 (spring)
【現代語訳】春の海から引き揚げた網の目から、光蝦がキラキラとこぼれ落ちている、その豊かな春の海よ。 【鑑賞】「こぼるる」という表現が、光蝦の小ささとその数の多さを生き生きと伝えています。春の海の豊かさと生命の息吹、そして光の美しさを素直に、かつ鮮やかに捉えた一句です。
開襟のうしろを風のぬけゆけり
季語: 開襟 (summer)
【現代語訳】開襟シャツの大きく開いた襟の後ろを、涼しい風がすうっと通り抜けていったことよ。 【鑑賞】開襟という衣服の構造を巧みに活かし、夏の風を触覚的に捉えた名句です。衣服と肌の間をすり抜けていく風の涼しさが、読者にもそのまま心地よく伝わってきます。シンプルでありながら極めて写実的です。
御行の列うつくしくすれちがふ
季語: 御行 (newyear)
【現代語訳】御行の厳かな行列が、夜明け前の薄暗い中で美しくすれ違っていく。【鑑賞】松明の火を携えた僧侶たちの列が交差する瞬間を捉えた句です。新年の寒冷な空気の中で展開される静かな仏事の様子が、「うつくしくすれちがふ」という言葉によって一幅の絵画のような調和と美しさをもって立ち上がります。
二日とろろに箸のぬくもりありにけり
季語: とろろ正月 (newyear)
【現代語訳】二日に食べる温かいとろろ汁に、箸を持つ手を通して、そして食卓を囲む家族の箸そのものに、じんわりとした温もりがあることだ。 【鑑賞】「箸のぬくもり」という表現が、とろろの温かさだけでなく、家庭の団欒や日常の安心感を鮮やかに伝えています。お正月という特別なイベントから、いつもの日常のささやかな幸せが戻ってきた瞬間を捉えた名作です。
草の絮飛んで日のあるうちは飛ぶ
季語: 草の穂絮 (autumn)
【現代語訳】草の綿毛が風に吹かれて飛んでいき、秋の日の光が差している間はずっと飛び続けている。 【鑑賞】晩秋の柔らかな日差しの中を、どこまでも漂い続ける草の絮の姿を素直な言葉で捉えています。太陽の光と綿毛のあたたかくも儚い動きが美しく響き合う名句です。
苦参引く力あまればよろめきて
季語: 苦参引く (autumn)
【現代語訳】深く根を張った苦参を全身の力で引き抜いたところ、抜けた勢いに力が余って体がよろめいてしまった。\n【鑑賞】苦参の根の頑丈さと、それを抜く時の全身の踏ん張りが具体的に捉えられています。すぽんと抜けた瞬間の体勢の崩れに、作業の生々しさと素朴な生活の実感が滲み出ています。