1890年 - 1946年

杉田久女

すぎた ひさじょ

作風・特徴

女性の情感・官能・抑圧された感情を俳句に込めた先駆的な女流俳人。「谺して」「花衣」など大胆で情感豊かな句は当時の俳壇に新風を吹き込んだ。生活と俳句の間で引き裂かれた緊張感が句に独特の力を与える。

生涯・略歴

鹿児島県生まれ。大正・昭和の俳壇を代表する女性俳人。高浜虚子に師事し一時高く評価されたが虚子との確執により「ホトトギス」から除名される悲運に遭った。俳句への情熱と生活の板挟みに苦しみ精神を病んで晩年は施設で孤独に没した。波乱の生涯と才能は後に多くの評伝で取り上げられ再評価が進んでいる。「ホトトギス四T」の一人。

代表句 (18件)

花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ
季語: 花衣 (spring)
杉田久女句集
襟巻のあたたかき毛に顋をうづめ
季語: 襟巻 (winter)
【現代語訳】襟巻のふかふかとした温かい毛並みに、そっと顎(あご)をうずめている。【鑑賞】冬の厳しい寒さの中で、襟巻がもたらす極上のぬくもりと安らぎが、五感を通して表現された女性らしい優美な一句です。
経木帽深くかむりて病み痩せし
季語: 経木帽 (summer)
【現代語訳】\n経木帽を深くかぶって、病気で痩せてしまった人が静かに佇んでいる。\n【鑑賞】\n軽くて安価な経木帽が、病中の人物のはかなさをより引き立てています。深くかぶることで顔を隠し、自らの衰えを静かに受け入れているような、どこか哀愁漂う光景です。
川のりを洗ふや水に手の白さ
季語: 川海苔 (autumn)
【現代語訳】冷たい川の水で川海苔を洗っていると、その清らかな水の中に浸された自分の手の白さが、いっそう際立って美しく見えることだ。【鑑賞】川海苔の深い緑と、流れる水の透明感、そしてその中に置かれた女性の白い手のコントラストが実に見事です。生活のたくましさと美意識が融合した名句です。
栗おこは父の形見の折敷にて
季語: 栗おこは (autumn)
【現代語訳】炊き上がった秋の栗おこわを、亡き父の形見である折敷(おしき=角盆)にのせていただいていることだ。\n【鑑賞】温かい栗おこわの豊かな味わいとともに、父への深い追慕の念が静かに伝わってくる名句です。折敷という日常の器を通じて、故人とのつながりと秋の滋味を端正に描き出しています。
秋袷胸の重みはいつの世の
季語: 秋袷 (autumn)
【現代語訳】秋袷を身につけると胸にずしりと重みを感じるが、この感覚はいつの時代から女性たちが感じ継いできたものなのだろうか。 【鑑賞】裏地のある袷の物理的な重みと、女性として生きる宿命や情念の重なりを見事に表現した名句です。単なる衣服の更衣にとどまらず、時空を超えた女性の心情へと詩境を広げています。
秋湿り机のうへに香を炷きて
季語: 秋湿り (autumn)
【現代語訳】秋の長雨で家の中がしっとりと湿る中、机の上にお香を焚いて心静かに過ごしている。 【鑑賞】じめじめとした秋の湿気を、お香を焚くことで雅で凛とした空間へと変えています。湿り気を帯びた空気の中だからこそ香の匂いが濃密に漂い、秋の静けさと作者の研ぎ澄まされた美意識が感じられる名句です。
芋の茎むくや女の指の冷え
季語: 芋の茎 (autumn)
【現代語訳】芋の茎の筋を剥いていると、指先がひんやりと冷たく冷えてくる。 【鑑賞】水仕事や秋の空気の冷たさを、女性ならではの鋭い触覚で捉えた写生句です。淡々とした日常の炊事風景の中に、季節の移ろいと身体感覚のリアリティが見事に表現されています。
団扇置く手もとにすさぶ秋の風
季語: 団扇置く (autumn)
【現代語訳】団扇を置いたその手もとに、容赦なく吹き抜けていく秋風の冷たさよ。 【鑑賞】「すさぶ」という強い動詞を用いることで、単なる心地よい涼風ではなく、急激に肌寒さを増して吹き寄せる秋風の激しさと、それに伴う作者の鋭い心理の揺らぎが手もとの描写から鮮烈に伝わってきます。
踊笠脱げば月夜の汗しづく
季語: 踊笠 (autumn)
【現代語訳】盆踊りの最中に深く被っていた踊笠を脱ぐと、澄んだ月夜の光の中に汗のしずくが美しく光り落ちた。\n【鑑賞】熱気あふれる踊りからふと抜け出し、笠を脱いだ瞬間の女性の美しさと涼気を見事に捉えています。神秘的な笠の奥から現れた素顔と、月光に照らされる汗の艶やかさが鮮烈な印象を残します。
織女星仰ぐに髪の乱れけり
季語: 織女星 (autumn)
【現代語訳】夜空に輝く織女星をじっと見上げているうちに、夜風に吹かれていつの間にか私の髪が乱れてしまっていた。 【鑑賞】天を仰いで星を見つめる女性の情熱的な横顔と、秋風に乱れる黒髪の艶やかさが印象的な名句です。織女の物語に自身の切ない恋情や情念を重ね合わせ、ドラマチックな一瞬を鮮やかに切り取っています。
四十雀の飛立つあとの梢かな
季語: 四十雀 (autumn)
【現代語訳】四十雀がパッと飛び立ったあとの、木の梢の揺れに秋の気配が感じられることだ。【鑑賞】小さな四十雀が飛び去ったあとのわずかな余韻と、静まり返った梢の佇まいを捉え、秋の澄んだ空気感を鮮やかに描き出しています。
炭火恋し夜業の指をあたゝめて
季語: 炭火恋し (autumn)
【現代語訳】炭火の温かさが恋しくなり、夜なべ仕事で冷えた指先をかざして温めている。 【鑑賞】冷え込む夜に針仕事や書き物などの夜業(よなべ)に励む情景です。炭火のかすかな温もりに凍えそうな指先をかざす女性の姿が生き生きと浮かび上がり、寒さの鋭さと炭火の優しい赤さの対比が際立っています。
蓼の穂の紅濃き雨となりにけり
季語: 蓼の穂 (autumn)
【現代語訳】降り続く雨に濡れて、蓼の穂の紅色がいっそう深く鮮やかになってきたことだ。 【鑑賞】秋の冷たい雨に打たれることで、蓼の穂の赤みが潤いを増して際立っていく様子を捉えています。雨に濡れる湿潤な空気感と、粒々とした穂の艶やかな色との対比が、しっとりとした情緒を鮮明に描き出しています。
中菊や日を仰ぐ花伏せる花
季語: 中菊 (autumn)
【現代語訳】中菊が咲いている。太陽をまっすぐ見上げる花もあれば、恥じらうように下を向く花もある。\n【鑑賞】ひと株、あるいはひと群れの中菊の生命の姿を丹念に見つめた句です。天を仰ぐ花と俯く花それぞれの佇まいに、生き生きとした表情と女性らしい細やかな観察眼が光ります。
露草の群れて青きを惜しみけり
季語: 露草 (autumn)
【現代語訳】露草が一面に群がり咲いて見事な青を見せているが、この美しさも昼には消えてしまうのかと名残惜しく思う。 【鑑賞】群生して鮮やかな瑠璃色を放つ露草の美しさに心を奪われつつも、一日花のはかなさを思って愛惜の情を抱いています。自然の刹那的な美に対する女性らしい繊細な感受性が光る一句です。
葉月潮まろびつ走る小蟹かな
季語: 葉月潮 (autumn)
【現代語訳】勢いよく満ちてくる八月の潮に追われ、小さな蟹が転げるようにして走っていることよ。\n【鑑賞】力強く満ちてくる大潮の圧倒的なエネルギーに対し、足元で転がるように逃げ惑う「小蟹」の愛らしい動きを対比させています。大自然の躍動感と小さな命への温かな視線が、瑞々しいリズムで描かれています。
手をつけて海あたたかし冬隣
季語: 冬隣る (autumn)
【現代語訳】秋の終わりに海の水に手をつけてみると、外の冷たい空気に比べて思いのほか温かく感じられ、すぐそこまで冬が来ていることを実感する。【鑑賞】大気はすでに冷え込んでいるものの、海水の温度はまだ秋の名残を留めて温かい。その温度差への気づきから、間近に迫る冬の気配を皮膚感覚で鮮やかに捉えた名句です。