1906年 - 1956年

松本たかし

まつもと たかし

作風・特徴

能楽師の血が流れる幽玄・余白・静謐を重んじた句風。言葉の外側に広がる「間」を大切にし少ない言葉で深い世界を生み出す。能の所作のような精緻さと病と向き合いながら詠んだ句の透明な美しさ。

生涯・略歴

東京府(現・東京都)生まれ。能楽師の家に生まれ病のため能楽師の道を断念して俳句に転じた異色の俳人。高浜虚子に師事し「笛」を創刊・主宰した。能楽の所作・舞台的美意識が句に流れ込み幽玄・静寂・余白を大切にした独自の句風を確立した。50歳で没したが残した句は質・量ともに高い評価を受ける。

代表句 (20件)

雪達磨星のまたたきはじめけり
季語: 雪達磨 (winter)
たかし句集
菊合ひや丹精の差の微かなる
季語: 菊くらべ (autumn)
【現代語訳】菊を持ち寄って美しさを競い合っているが、どれも丹精込めて育てられた逸品ばかりで、その出来栄えの差は実に僅かなものだ。【鑑賞】出品されたどの菊にも深い情熱が注がれており、甲乙つけがたい高水準な争いであることを見抜いた、育て手への敬意に満ちた一句です。
菊の友酒の友とはならざりし
季語: 菊の友 (autumn)
【現代語訳】菊の美しさを共に楽しんだ高潔な友は、ついに最後までただの酒飲み友達にはならなかった。【鑑賞】菊を通じて結ばれた友との交わりが、どこまでも品格を保ち、俗っぽい関係に落ちることがなかったことへの深い感慨と敬意が込められた名句です。
金雀の胸の黄色や秋日和
季語: 金雀 (autumn)
【現代語訳】心地よく晴れ渡った秋の日和の中、金雀の胸の鮮やかな黄色がひときわ美しく映えている。【鑑賞】秋晴れの澄んだ青空と柔らかな日差しの中に、金雀の鮮烈な黄色の胸元を鮮明に捉えた一句です。色彩の対比が鮮やかで、秋の清々しさと生命の愛らしさが端正に描かれています。
金柑を噛んで夕日のうすれけり
季語: 金柑 (autumn)
【現代語訳】金柑を口にして噛みしめているうちに、差し込んでいた夕日の光がしだいに薄れていった。【鑑賞】金柑を噛んだ瞬間の甘酸っぱさとほろ苦い香りが、夕暮れの淡い寂寥感と見事に溶け合っています。味覚と視覚の繊細な移ろいを捉えた名句です。
胡麻叩く音のはじめや夕日影
季語: 金胡麻 (autumn)
【現代語訳】胡麻を叩いて実を落とす乾いた音が響き始めたところへ、西に傾いた夕日の光が射している。 【鑑賞】乾燥させた胡麻の束を叩いて粒を取り出す「胡麻叩き」の情景です。作業が始まった音の響きと、夕暮れの斜光の色彩が美しく響き合い、秋の深まりを感じさせます。
からたちの実の黄に澄みし大気かな
季語: 枸橘 (autumn)
【現代語訳】からたちの実が鮮やかな黄色に熟し、それを取り巻く秋の大気までもが清らかに澄み渡っていることよ。【鑑賞】鮮やかに色づいた実の黄色が、周囲の乾いて澄んだ秋の空気感を際立たせています。色彩の純度の高さと秋晴れの爽快さが美しく調和した一句です。
橡紅葉日影もつともあたたかに
季語: 櫟紅葉 (autumn)
【現代語訳】クヌギが黄褐色に色づくなか、射し込む日差しがこの上なく温かく感じられることだ。 【鑑賞】晩秋の冷え込む空気の中で、櫟(橡)の紅葉に注ぐ陽光のやわらかな温もりを捉えた名句です。派手さのないクヌギの葉色だからこそ、光のあたたかさが際立ち、日溜まりの安らぎがしみじみと伝わってきます。
くれのおもの実のふくらみて秋深し
季語: くれのおもの実 (autumn)
【現代語訳】くれのおもの実が十分に膨らんで、季節はいよいよ深まりゆく秋となった。\n【鑑賞】風船のようにぷっくりと膨らんだ実の充実感を通して、秋の深まりを捉えています。豊かな実りと同時に訪れる季節の静けさや深まりを、簡潔かつ格調高く表現しています。
君遷子高きに熟れつ日は落ちぬ
季語: 君遷子 (autumn)
【現代語訳】高い梢の君遷子の実が赤く熟れているうちに、あっという間に日は沈んでしまった。\n【鑑賞】高い枝先に残る実の鮮やかな色と、急速に訪れる秋の夕暮れのコントラストが鮮やかに捉えられています。「日は落ちぬ」の断定に、秋の日暮れの寂寥感と凛とした空気感が漂います。
夏書果てゝ筆干す軒の秋風に
季語: 夏書納 (autumn)
【現代語訳】夏書の修行を終えて洗い上げた筆を軒下に干すと、そこを心地よい秋の風が吹き抜けていく。 【鑑賞】軒先に吊るされた筆先が秋風に揺れる様子を描くことで、五感を通して季節の移ろいを感じさせます。日々の集中から解放された安堵感と、初秋の涼しさが美しく調和しています。
鶏栖子や木深き山の秋日和
季語: 鶏栖子 (autumn)
【現代語訳】鶏栖子の実が実る奥深い山にも、からりと晴れ渡った秋の穏やかな日差しが降り注いでいる。\n【鑑賞】木々が生い茂る山の静けさと、秋晴れの明るい光のコントラストが美しい一句です。静寂の中にひっそりと実をつける鶏栖子の風情が、秋の深まりを伝えています。
気比祭杉の梢の月高し
季語: 気比祭 (autumn)
【現代語訳】気比祭の夜、神社の杉木立の梢の上に高く月が昇っている。 【鑑賞】古社ならではの荘厳な杉木立と、その上空に冴え渡る秋の月を捉えた一句です。地上の祭りの喧騒を包み込むような、神域の清らかな静けさと秋の夜空の高さが格調高く表現されています。
木の葉山女流るる如く隠れけり
季語: 木の葉山女 (autumn)
【現代語訳】木の葉山女が、まるで水面を流れる落葉と見分けがつかないかのように、岩陰へと素早く隠れていった。【鑑賞】流れる落ち葉と一体化して身を潜めるヤマメの素早い動きと擬態の妙を、平明かつ鮮やかに描き出しています。
玄圃梨落ちて鳥語のしげき森
季語: 玄圃梨 (autumn)
【現代語訳】玄圃梨が熟して落ち、それを啄ばみに集まった鳥たちの鳴き声が森いっぱいに賑やかに響いている。 【鑑賞】甘く熟した玄圃梨の実を求めて小鳥たちが森に集まってくる様子を描いています。静けさの中に鳥たちの声が満ち、豊かな自然の営みと深まりゆく秋の情景が鮮やかに立ち現れます。
枳椇の実やゆがみゆがみて甘かりし
季語: 枳椇 (autumn)
【現代語訳】枳椇の実は、くねくねと歪んだ奇妙な形をしているが、口にしてみると意外にも甘かったことだ。 【鑑賞】見た目のいびつさと、口に含んだ瞬間の優しい甘さの対比をストレートに詠んだ名句です。「ゆがみゆがみて」というリズムの良い畳語が、枳椇の独特な形状を生き生きと描き出しています。
香櫞の香のこもりゐたる厨かな
季語: 香円 (autumn)
【現代語訳】香円の清々しい香りが満ち満ちてこもっている台所であることよ。【鑑賞】台所という日常の生活空間に、香円特有の高雅で爽快な香りが満ちている様子を捉えた一句です。果実の皮を剥いたり加工したりした後の余韻が感じられ、生活感の中に上品な季節の訪れが香気とともに表現されています。
建蘭の香を惜しみつつ暮れにけり
季語: 建蘭 (autumn)
【現代語訳】建蘭のかすかで清らかな香りを名残惜しく味わっているうちに、秋の日は静かに暮れていった。 【鑑賞】建蘭のほのかな香りに心を奪われ、時の経つのも忘れて過ごす秋の夕暮れを詠んだ句です。「惜しみつつ」という心情に、建蘭の上品で儚げな香りの尊さが巧みに込められています。
苔しのぶ岩の雫の絶えまなし
季語: 苔しのぶ (autumn)
【現代語訳】苔しのぶがびっしりと覆う岩肌からは、絶え間なく水滴が滴り落ちている。 【鑑賞】岩肌に張り付く苔しのぶの青さと、間断なくしたたり続ける雫の透明感を捉えた一句です。永劫に続くかのような自然の営みと、凛とした秋の冷涼な空気感が簡潔な言葉で表現されています。
小倉祭遠太鼓きく小倉山
季語: 小倉祭 (autumn)
【現代語訳】小倉祭の祭太鼓が、遠く小倉山から微かに響いてくるのを聞いている。 【鑑賞】「小倉祭」と「小倉山」の重なりが心地よいリズムを生み出しています。秋の澄み渡った空気の中、山懐から響いてくる祭の太鼓の音が、周囲の静けさをよりいっそう際立たせています。