1917年 - 2020年

後藤比奈夫

ごとうひなお

作風・特徴

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生涯・略歴

後藤 比奈夫(ごとう ひなお、1917年〈大正6年〉4月23日 - 2020年〈令和2年〉6月5日)は、大阪府出身の俳人。本名は日奈夫(読み同じ)。「諷詠」名誉主宰。

代表句 (10件)

月鈴子ばかりの闇となりにけり
季語: 月鈴子 (autumn)
【現代語訳】夜が更けるにつれて周囲は暗闇に包まれ、いつしか世界にはただ月鈴子の鳴き声だけが満ち満ちている。【鑑賞】「ばかりの闇」という表現により、聴覚が視覚を凌駕し、闇そのものが月鈴子の音色で編まれているかのような錯覚を覚える、深く幻想的な夜の情景です。
貴船祭神輿迎ふる川の音
季語: 貴船祭 (autumn)
【現代語訳】貴船祭の神輿を迎えるにあたり、厳かに響き渡る貴船川のせせらぎの音よ。【鑑賞】貴船神社の祭礼において、主役である神輿の到来を待つ静寂の中に、絶え間なく流れる川の音が響き渡る情景を描いています。水の神を祀る貴船ならではの、清らかな「水」と「祭り」の調和が見事な一句です。
栗蒸羊羹一本を切りきりて
季語: 栗蒸羊羹 (autumn)
【現代語訳】栗蒸羊羹を一本、迷いなく最後まで切り分けて。【鑑賞】栗蒸羊羹は一本の竿物として売られていることが多く、それを切り分ける作業自体に秋の落ち着いた時間の流れや、客をもてなす温かい気配が感じられます。「切りきりて」というリズム感のある表現から、包丁が小気味よく羊羹に入っていく様子と、すべてを等分に切り終えた満足感が伝わってきます。
栗鹿の子一人の茶儀のいそがしき
季語: 栗鹿の子 (autumn)
【現代語訳】栗鹿の子を食すために、自分一人だけのお茶の時間を設けたが、その準備やお点前にかえって忙しく立ち働いていることだ。【鑑賞】贅沢な和菓子である栗鹿の子を最も美味しい状態で楽しむため、一人でありながら本格的にお茶を点て、その作法や段取りに熱中している微笑ましい日常の一コマを切り取っています。
粟田祭暮れゆく山を背負ひけり
季語: 粟田神社祭 (autumn)
【現代語訳】粟田祭の賑わいと華やぎが、夕暮れに染まりゆく東山を背景にして繰り広げられている。 【鑑賞】粟田神社が建つ東山の麓の地形を巧みに捉えた句です。日が傾くにつれて深まる秋の山気と、祭の明かりや熱気との対比が、京都らしい情緒美を醸し出しています。
牛乗の烏帽子きりりと秋気澄む
季語: 稲爪神社牛乗 (autumn)
【現代語訳】牛に乗る者の烏帽子姿が引き締まって凛々しく、秋の気配が清らかに澄み渡っている。 【鑑賞】「きりりと」というオノマトペによって装束の美しさと神事特有の緊張感が際立ち、秋の澄み切った大気感が心地よく伝わります。
添水の音のつづきを待ちにけり
季語: 添水 (autumn)
【現代語訳】一度鳴った添水の音の、次に訪れる響きを今か今かと静かに待ち続けていた。 【鑑賞】添水の醍醐味である「音と音の間の静寂」を見事に捉えた作品です。いつ鳴るか分からない次の音を待つ時間そのものが、秋のゆったりとした時の流れと心の内省を感じさせます。
醍醐祭法螺一筋の山を抜け
季語: 醍醐祭 (autumn)
【現代語訳】醍醐祭の山伏が吹き鳴らす法螺貝のひと筋の澄んだ音が、秋の深まる山々を突き抜けて響き渡っている。【鑑賞】静寂に包まれた秋の醍醐山に、鋭くも豊かな法螺貝の音が響く瞬間を鮮やかに切り取った一句です。「一筋の」という表現が音の直進性と透明感を際立たせ、研ぎ澄まされた秋の大気を感じさせます。
千代尼忌のつるべに水の手応へよ
季語: 千代尼忌 (autumn)
【現代語訳】千代尼忌の日に井戸の釣瓶を引き上げると、確かな冷たい水の手応えが伝わってくることだ。【鑑賞】「朝顔や釣瓶とられて…」の故事をさりげなく踏まえつつ、自ら井戸水を汲む日常の手応えを通じて千代尼を追善しています。秋水の冷たさと引き締まった感触が、千代尼の面影を鮮やかに甦らせます。
流鏑馬の的の破片の飛びにけり
季語: 天満流鏑馬 (autumn)
【現代語訳】放たれた矢が命中し、流鏑馬の檜板の的が粉々に砕け散って宙を舞った。 【鑑賞】的中した瞬間の衝撃と鋭利な美しさを「的の破片が飛んだ」という一点に凝縮して描いています。秋の澄み切った大気の中に散る破片の軌跡が目に浮かぶような、鮮明な映像美を持つ一句です。